昔の仕事 今の仕事
2015年 11月 20日
「昔の仕事は、おもろかったよなあ〜」
先日、私の恩師の方と夜に語り合う場を持たせていただきました。
長年、障がい福祉に携わっておられる相談員の方です。
結果的に相談員の仕事をされているとう感じで仕事をされている印象を持っています。
「困ったら、〇〇さんに電話しよう」と思われる支援者の方です。
約15年ぶりの席となりました。
15年前は措置費制度の時代でした・・・
支援費制度、障害者自立支援法と経て、現在の障がい者総合支援法に至っています。
この間、別々の地域で仕事を行い、そらいろ開業後は業務での連絡をすることが増えましたが、仕事について熱く語るのは久々でした。
『相談支援』なんて制度がなかった頃から、自然発生的に相談支援を担う支援者が出てきたように思います。
「〇〇市に住まれる方が移動支援の事業所を探しておられますが、そちらの事業所には空きがありますか?」という電話連絡は、今では珍しくありませんが・・・
昔は・・・
「作業所で自分が担当している仲間(利用者)が、家庭で落ち着かない状況で親が参ってしまっている。どうしよう・・・」
「保護者が緊急入院になり、その間、どう対応しよう・・・」
こんな形で緊急事態が起こり、側で支える施設職員が『なんとかする』という支援が多かったように思います。
私自身、緊急対応で一ヶ月無休で働いたこともありました(ブラック企業ちゃいますよ)。
このような実践の積み重ねから、一施設や家族で抱え込まない地域のセーフティネットを作る動きになったのだと思いました。
15年前は障がい者対応のヘルパー事業所はごく少数でしたし、移動支援なんてありませんでした。
使えるサービスが増え、それをつなぐ仕事も増えました。
社会システムとして「困ったら、〇〇〇相談支援事業所に話をしよう」となりました。
格段に変わりました。
良いことですね。
障がい福祉業界へのニーズが増えたことで担い手不足になり、就業環境改善も図られてきています。
「安月給でも気持ちで働く福祉職」から「安心して長く働ける職場」への転換が勧められています。
『きょうと福祉人材育成認証制度』というのも、その取り組みの一つです。
福祉制度も労働環境も整えられ、画一化されたように感じます。
良いことなんでしょうね。
ただ、福祉職約30年の戦士から見る景色は違うのだろうなと思いました。
『無認可の共同作業所』という言葉は死語のようになっていますが、昔はこの作業所内で多くのドラマが生まれ、人間模様が繰り広げられていました。
『利用者』『支援者』という枠は低く、ある意味『仲間』というフワッとした関係性で繋がって入られたように感じます。
私が最初に勤めた職場は無認可の通所でした。
福祉制度は未熟で、私は「なんで土日に普通に外出できないの?」と疑問に思っていました。
休日返上で私が付き添って外出のサポートをしたこともあります。
「制度がなければ、作ればいい」
次に勤めた施設の所長は言われていました。
移動支援もグループホームも、何なら通所施設も支援実態が先にあり、制度が後から出来たものです。
それを忘れてはいけません。
恩師と話した「おもろい仕事がしたい」という言葉の意味は、ここにあります。
目の前の利用者の声を、そのままカタチにして答えたいということです。
利用者の声を『ニーズ』に置き換え、何らかの計画書に載せ、制度上で支援の仕組みを考えていくことだけが仕事ではないと思います。
制度にないものは創っていく仕事。
こんな面白い仕事はないですよね。
私は、そんな仕事がしたいです。
それに近い仕事が私的福祉サービスではあります→こちら
そんな福祉男の語らいをまとめてみました。
最後まで読んで下さった方、次はご一緒に席を囲みましょう!