さぁ、空の下へ
2011年 05月 26日
私が障がい者支援の仕事に就いた頃。
障がい者のガイドヘルプ制度なんて聞くことはなかった。
通所施設はあったが、土・日・祝は家で過ごすか、家族と出かけるかくらい。
家族の頑張りに委ねられていた。
「ヘルパーを使って遊びに行く」なんてとんでもない!
そんな感じだった。
ボランティア活動の領域でもあった。
私もボランティアで外出支援を行っていた。
外出支援の必要性を感じたのは、同世代の脳性麻痺の利用者が休日に家にこもっている姿を見て、なんか淋しく感じたから。
手伝ってくれる人がいれば、外出できる。
自分が暇を持て余しているなら、一緒に出かければ良い。
そんな軽い気持ちで外出支援を始めた。
当時、20代の自分が普通に思っていた遊びで、すごく楽しんでもらえたことから外出支援の楽しさを知った。
それから10数年・・・
今では土・日・祝はガイドヘルプ三昧の日々。
街中でもガイヘルを利用している姿を普通に見かけるようになった。
家の中にこもって、ベッド上で天井ばかりを見ていてもつまらない。
天井は毎日見てても変わりがないが、空の様子は毎日変わる。
「空の下で遊ぼう!」
この思いが私のベースとなっている。
私自身は、医療的ケア(たんの吸引)が必要なため、そうなるとヘルパーさんも限られてくるので、なかなか余暇支援がしてもらえずにいました。
しかし少しずつ4年くらいかけて、ヘルパーさんを育てて、まだ希望するようにはいきませんが、前よりは支援してもらえるようになりました。
体調が良くて外出できるのに、介助者がいなくて外出できなかったときは、
一人で泣いていたこともあるくらいです。
長々と愚痴っぽくすみません。
この記事に書いている10数年前に支援していた利用者の方は、一度、入所されましたが、半年で耐えきれなくなって出て来られました。
「母の負担を軽くするため」と自分に言い聞かせて入所されましたが、そこでの生活は耐えられず、無念の??退所となりました。この時で、この方は22歳でした。若くして自分の人生に答えを求められている現状を目の当たりにして、私は支援者として、友人として歯がゆく思いました。
当たり前の人生を送る事ができない方が多くおられます。その現状に向き合っていきたいと思っています。
生活が守られてこその余暇支援だと思いますので。
長々とすいません。
記事にしても良いくらいでした。